院長紹介
院長 鶴井弘毅 Dr.Hiroki Tsurui
略歴 |
平成05年 呉宮原高校卒業 平成11年 大阪歯科大学卒業 平成12年 大阪歯科大学 欠損歯列補綴咬合学講座入局 平成15年 大阪歯科大学 欠損歯列補綴咬合学講座退局 平成15年 深見歯科医院勤務 平成22年 医業承継 ふかみスマイル歯科院長に就任 |
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ライセンス | 国際インプラント学会認定医 日本顎咬合学会認定医 |
誕生日/血液型 | 9月1日/B型 |
好きな言葉 | Live with Passion(情熱をもって生きる!) |
趣味 | マラソン、水泳、読書 |
趣味
日本顎咬合 学会認定証 |
国際インプラント 学会認定証 |
所属学会・スタディグループ
日本顎咬合学会、国際インプラント学会認定医、日本歯周病学会、日本一般歯科矯正研究会、日本アンチエイジング歯科学会、日本口腔感染症学会、日本歯科医師会会員、大阪SJCD会員、広島SJCD会員
院外活動
中小企業家同友会呉南支部役員、呉倫理法人会会員、青蓮寺幼稚園校医、平原保育所校医
修了研修会(一部抜粋)
SJCDレギュラー |
SJCD 補綴咬合コース |
UCLA | JIPI歯周病 |
ノーベルバイオケア インプラント認定証 |
カルシテック インプラント認定証 |
3Iインプラント 認定証 |
アストラインプラント 認定証 |
スペインインプラント BORGコース修了証 |
福岡歯科大学 インプラント 卒後認定証 |
咬合器研修了証 | エムドゲイン修了証 |
院長から患者様へメッセージ
院長・鶴井弘毅のさらに詳しいプロフィール
私は昭和49年9月1日に父道佳,母明子の長男(二人兄弟:姉、私)として呉に生まれました。今の歯科医院の上で育ちました。
多くの歯科医師の家庭とは違い、母親が歯科医師で、父親はサラリーマンという家庭でした。
幼少期の私は、今では考えられないのですが、引っ込み思案で自分のおもちゃが友達に取られても、「返して」と言えないような子供でした。両親が共働きだったこともあり、友達と遊ぶのでなく家で一人、おもちゃを相手に遊んでいました。また、人に少しからかわれたくらいで泣いてしまうすごく気の弱い、泣き虫な子供でした。
歯医者へのあこがれ、超スパルタ教育の父親との確執
自宅と歯医者が一緒の場所だったため、幼い頃より祖父や母親が歯科医として働く姿を身近に見ていました。
祖父や母が多くの患者さんから感謝されるのを間近で見ていたことから、「歯医者さんってカッコイイな!」「僕もいつか、誰かの役に立ちたい」「誰かの手助けがしたい」と、幼いながらにも歯科医師に憧れるようになりました。
今思い返すと、本当に幼い頃から歯科医師になることが夢で、それを叶えることができた今の自分は本当に幸せだと思いますし、天職だなと思っています。
一方、父はとても厳しい人で、侍のような人でした。勉強をやらないと叱られ、勉強の計画を守れないと叱られ、まさにスパルタ教育でした。父親が仕事から返ってくるのを、いつも怯えながら待っていたことを思い出します。
そのころはまだ遊びたい盛りで「どうして勉強しないといけないのか」「なぜ計画をしたことを守らないといけないのか」の意味もわからず、半ば強制的にやらされていたので心の中では反発していました。
その厳しさから、しばらく父親との間には確執がありました。しかし、私も父親となって、ようやく父親が言っていたことの意味を理解することができました。無事に夢だった歯科医師になれたことは、父親のおかげでもあるので、今では心から感謝しています。
中学校、高校時代を経て、夢へ向けた歯学部へ
中学校は呉市立東畑中学校、高校は呉宮原高校に通いました。
中学校、高校と部活を初めは一生懸命取り組むのですが、夏休みを過ぎたころにはすっかりやる気がなくなりそのまま帰宅部へ。今振り返っても、『歯科』以外のことは、あまり情熱を持って取り組むことができていなかったなと思います。
ただ体育祭、文化祭など盛り上がることは率先して行動しみんなを手助けしながら一つのことに取り組むことで得られる達成感にすごく喜びを感じていました。
高校生2年生では、周囲の友人が進路に悩む中、私は幼い頃からなりたかった「歯科医師」という職業に向けて、迷うことなく勉強をしていました。
夢に向かった勉強なので、それまでの部活とは違って熱心に取り組むことができました。そして、無事に大阪歯科大学へ入学することができたのです。
祖父と同じ大学へ入学、努力の大切さを知る。
大阪歯科大学を選んだ理由は、私が歯科医師を目指すきっかけとなった尊敬する祖父と、母の母校だったからです。入学前には、華やかなキャンパスライフを思い描いていたのですが、実際は真逆でした。
大学でボート部(レガッタの方です)に所属しました。最初は「楽だから」と勧誘されて入ったのですが、入ってみると驚くほどの体育会系の部活。多い時で週5回の練習、朝錬もあるようなハードな部活でした。
大学には授業を聞きに行っているのか?部活に行っているのか?という状況で、最初は特にやる気があったわけではないので、本当に辛い生活でした。
ただ、一生懸命練習をしているうちに少しずつ楽しくなり、徐々に本気で取り組むようになりました。その甲斐あって、入学当時は弱小ボート部だたのが4回生のときには歯学体(全国の歯科医師の大会)で優勝するまでになりました
このことを通じてコツコツと努力することの大切さ、決してあきらめない強い気持ち、チームワークの大切さを学ぶことができました。この経験は、歯科医師なってからも努力し続けるにあたっても、本当に大きな財産になったと思っています。
卒業後、歯科治療の師匠との出会いで『本当の歯科医療』を知る。
卒業してから母校のインターンを経て、欠損歯列補綴咬合学講座に医局員として入局しました。欠損歯列補綴咬合学講座とは、平たく言うと「入れ歯を専門」としているところです。
なぜこの講座を選んだかというと、呉の街はご高齢の方が多く、入れ歯で困っている人を治してあげたいと思ったからです。
そこで、私の人生を変える出会いがありました。大学病院で入れ歯の治療をしたときのことです。ある患者さんの治療がうまくいかず苦戦していました。
その時のカギになっていたのが「咬み合わせ」です。咬み合わせはベテランの歯科医師でも難しいといわれている非常に治療の難しい分野です
その時ちょうど、大学病院で私が診療をしている階に、月に一度「咬み合わせ」で全国的に有名な本多正明先生が訪れていました。
そこで私は本多先生に、「先生の歯科医院で働かせて下さい!!」と強引に頼み込んだのです。そして、半ば丁稚状態で働かせていただくことになったのです。
ここから「本当の歯科医療」を知ることになったのです。
歯科医療を追求し続けた後、実家の医院を継承
本多先生の治療はまさに高精度かつ繊細で、失われた歯が元に戻っている錯覚に陥るほどでした。「このようなハイレベルの治療をしたい!」と心から思いました。
それからというもの見学に行っては夜遅くまで質問したり、技術を向上させるために休日返上で研修会に通ったりしました。また、仕事が終わっても居残りで練習し、終電で帰ることも当たり前で、まさに文字通り必死に学ぶ日々でした。
そして4年間大阪で研修した後、深見歯科医院(ふかみスマイル歯科の前身)に戻って勤務することとなったのです。
呉に帰ってからも歯科治療に対する情熱は冷めるより、ますます上昇していきました。毎週末、東京、大阪へと技術向上のため研修会を受講しました。当時はお金もなかったですが、生活を切り詰めてかなりの金額を研修会につぎ込みました。自分の時間とお金とエネルギーを、全てと言ってよいほど歯科治療技術向上に充てていました。
そうすることで一日一日ではわからないのですが、月日がたつと成長しているものです。
ついに受講生の立場ではなく、歯科医師向けに講師をお願いされるほどになりました。
自分自身一本立ちできたと自信を持つことができたことを機に、十戒の医院を継承して、ふかみスマイル歯科の院長に就任しました。
今後も、患者の皆様に歯があることの素晴らしさを伝え、呉市のこの地で世界水準の良質な歯科医療を提供したいと本気で思ってます。
今まで僕を支えてくれた、全ての人に感謝します。
これからもふかみスマイル歯科、院長・鶴井弘毅をよろしくお願いします!